●出産日の読書
・「極楽・大祭・皇帝」笙野頼子/講談社文芸文庫
旦那に「なんで笙野頼子の小説が好きなの?」と聞かれて答えられませんでした。
出産したら暫くは身体や目を休めなくてはならない、即ち一ヶ月間の読書禁止令が出るので(新聞とかテレビは少しであれば大目に見て貰うつもり。本当は駄目なんだけど)、前駆陣痛が来ている中で大急ぎで読了しました。「極楽」はデビュー作品で群像新人賞受賞作、「大祭」は受賞後第一作、「皇帝」は初の長編です。
今まで読んだ笙野作品の中で、最も読み易かったです。それでも「皇帝」は気合いが要りましたが。そもそも笙野作品が何故読みにくいとか難解と言われるかと考えると、隠喩が独特であるからだと思われます。例えば「母の発達」で五十音のお母さんを創造する事は何を意味しているのか、「タイムスリップコンビナート」で何故マグロから電話があるのか等は、単に読み進めるだけではそれが何を伝えたい為の表現なのか分かりません。答えは各読者が探します。勿論作者は意図を持ってそういう表現をしているのですが、発想が突飛であるので伝わりにくいのです。
そう云う点でこの初期三作は現実に起こり得る状況の描写が続き、人物の心情、ストーリーの流れが読者の想像の範疇に収まっている為、理解しやすいと考えられます。分裂した母がくるりくるりと大回転したりはしないのです。
どの作品もねちねちした人間の執着を描き、憎しみがそこかしこに見られるものですが、その醜さ汚らしさが人間の人間たる由縁で小説になり得る題材ですので、それを見つめて膨らませ、昇華させた笙野頼子はやはり凄い書き手だと思います。冒頭の旦那の問いにはこう答えます。
笙野作品は人間の醜いところを独特の表現で描いていて面白いから。
夏休みの読書感想文その二。
●「逃亡くそたわけ」糸山秋子/講談社文庫
躁鬱病の主人公と、東京に異常な執着を持つ名古屋出身の「なごやん」の、精神病院からの逃避行ロードムービー小説。映画化もされましたね。九州縦断旅行で、主人公が博多出身で地の文にも博多弁が多用されていて、全く異なる方言を扱う私ですが、テンポ良く読めました。無理のない方言は好きだなあ(本当に無理がないのかどうかは出身でないと分からないのですが)。
各地で起こるこまごました事件、なごやんとの衝突、病状の変化などを交えた逃避行劇はきれいに落ち着き、気持ちよく読了できます。この後に出された「スモールトーク」や「ニート」よりも小説として良いと思います。
夏休みの読書感想文その一。
●「風花」川上弘美/集英社
うーん。「真鶴」の方が良かったなあ。
と云うのが正直なところですが、描きたい事柄が異なる小説なので敢えて別々に、これをこれで評価してみます。三十三歳の「のゆり」は不意に夫の浮気を知らされそこから始まる物語なのですが、のゆりが余りにものんびりさんなので刺々しい感じにならないで話が進みます。
ってか何と云うかこののゆりが鈍臭くて怒らない性格なんで苛々します。要領のいい人にはいいように利用されちゃうタイプで、もし自分の好きな妻帯者の妻がのゆりみたいな性格だったとしたら、かなり闘いにくいと思います、ボケ過ぎて。
話は動かないように見えてゆるゆると動いて行きます。劇的ななにかにはありませんしカタルシスもないですが、こう云うゆっくり脱皮する感じのお話も悪くないですね。
●ちょっと前の読書
・「対岸の彼女」角田光代/文藝春秋
直木賞受賞作。でもこの小説の後、角田さんはどんどん小説が上手くなっている。「八日目の蝉」はなかなか継続して読めない新聞小説だったのに、ほぼ毎日読んだもんなあ。閑話休題。
タイプの異なる二人の女性のお話。視点が子持ち主婦の小夜子と、小さなベンチャー企業葵の高校生時代の二つで、同時並行に違う時代の話が進んでいきます。自分としてはどっちの視点にも共感が出来るので、読んでいて昔を思い出したり痛くなったり面白かったりと色々です。この人の文章は本当に身につまされるなあ。
小夜子が自分の居場所を探して、娘のあかりを連れて公園ジプシーをする冒頭辺りとか、高校生の葵が同級生に仲間外れにされないように目立たず行動する話なんかは、実際に女の子やった人じゃないと書けないと思います。やはり話のスリリングさから考えると、高校生葵視点の部分の続きがとても気になります。女性として生きていくって結構大変なのよ、うん。男には分かるまい。
最後に、タイトルの「対岸の彼女」という言葉が効果的に表現されています。タイプの違う女性同士の友情、と簡単にこの話をまとめる事も出来るけれど、完全無欠に相手に委ねきった友情は、女性の場合なかなか成立しない。親友でも相手の厭な部分を知っていて、そこを含めて友人であったりする事が多い。それを文章によって気付かせてくれる、男性より女性に読んで欲しい小説です。
●大分前の読書
・「スモールトーク」糸山秋子/角川文庫
糸山秋子の書く女主人公で、車と洋楽に全く頓着しない人間はおらんのだろうか。ま、色なのでいいですが。
著者の車好きっぷりが遺憾なく発揮された趣味の一冊。角川らしい商売と云えばそうですが、此れを書くに当たって著者は大好きな車たちに試乗出来たので楽しかったろうなあ。売れない画家、ゆうこのところへ昔別れた音楽プロデューサーの本条(カマキリ)が次々と魅力的な車をとっかえひっかえ乗って現れる……と云うお話。車を媒介に二人の心はゆるゆると接近したりまた離れたり、と日常は読ませるのですが(著者は同年代、同時代の作家の中では抜群に小説が上手ですから)、車を中心に据えなければ、逆にもっと日常に密着した細やかながらも広がりのある話になったのではないかと云う気もします。
●新年の読書
・「行儀よくしろ。」清水義範/ちくま新書
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年越し本は泉鏡花の「外科室」にしようと思ったのですが、脳みそのコンディションが偶々古文向きでなかったので、実家にあったこの本を読みました。清水義範の教育論好きだし。
日本の教育について最近言われている学力低下について、それは本当なのか、そして本当だとしたらそれは果たして悪い事なのかを論考した一冊です。そもそも比較のテスト問題は毎年同じではないそうなので、その結果を持って学力が低下したとは言えないと云う筆者の論はその通りだと思います。また学力低下と云って騒ぐと相対的に年長者の方が出来が良かったと云う事になるので、彼らの優越感をくすぐると云うのもまた正論。
この本について「そうそう、良く言ってくれた」と思ったところは大きく二つあります。まず一つ目。「学校の先生は普通の人だよ」と云う事。教師をやっている友人も複数人おりますしその方々には不愉快な思いをさせて仕舞うと思いますが、教師は職業として勉強を教える事に長けている、その技術がある人と云うだけで、人間的に優れており、我が子に社会的規範を身に付けさせることが出来る人間であると思い込むのはお門違いであると云う論。それは全くその通りだと思います。先生は単に勉強を教えてくれるだけで、それ以上は期待してはならないし、そんな偉くもない(先生失礼)。躾や社交は各家庭で教育すべき事であるから、学校を責めるのはおかしい。その通り。
二つ目。「若者が悪くなったと嘆く大人、そんな若者を作ったのは今の大人だ」。これもその通りだと思いますよ。最近モンスターペアレンツなんて言葉も聞くようになってきましたが、そもそも現在の若者は現在の大人の挙動を見て育ったのであるから、若者が悪くなったと思う大人は、彼らに自分たちを育てた親世代より落ちた社会的教育しか施せなかったとそう云う事であるとする論。若者を非難するのは、廻りまわって自分たちが駄目であったと言っているようなもんだと、そう云うこと。これも分かる。
この本は教育について述べてはいますが、学校教育に限らず、社会が行う教育(規範とかモラル、集団の中での振舞い方など)についても除いて考える事は出来ないとする立場に立った論なので、こう云う意見が述べられている訳です。うん、納得出来る。語り口が優しい(易しい)為に少しゆるい印象を受けるのと、数字のデータを扱っていないために多少甘い感じはしますが、するすると読めました。自分は自分の親から受けたのと同等かそれ以上の教育を、子供に施せるでしょうか。これからの頑張り次第です。
●本日の Web 読書
・「恋空」美嘉/スターツ出版
読みましたよ携帯小説。勿論本を買ったのではなく、Web で全文公開されているのでちこちことそれを読んだのですが。お金出せる文章じゃないと思うので、電気代だけで読みました。携帯小説を唾棄すべきものとして見ている自分の、多分批判中心の感想になると思いますが、さて書いてみますよ。先ずは筋書きに対する感想から。
実話を元として書かれたと謳われたこの話ですが、実話だとすると著者であり主人公でもある美嘉氏の怒涛の数年はそりゃもう本当に大変で気の毒でと驚きを禁じえない波乱ぶりですが、うーん、なんかそれぞれの出来事の軽重が自分と違っているので没入出来ないと言うか、何と言うか。以下、ネタばれ含みますので筋を知りたくない方はご注意。
レイプされるよりも、恋人に冷たくされる事の方がショックって、どうなんだろう? 前者は非常に理不尽な暴力で、それを受ける事による衝撃って被害者しか分からない大変な事なのに、意外に克服するのが早いのですね、主人公。それよりも恋人の挙動による感情の振れ幅の方が大きくて、それに対する一喜一憂が重視されているのが不思議です。私には理解出来ません。
あとは常識的な突っ込みですが、病気が進行して無菌室に入れられている恋人にキスをしてはいけないと思います。雑菌が進入して死にますよ。加えて一時退院してきている病人と外出し、性交するのもいけんと思います。死にますよ。
筋についてはまだまだ突っ込みどころはあるのですが、大きなところはそれくらい。次は文章についてです。
いち本好きとして、この文章にはお金を出せません。堀江敏幸の文章読んでみろ。川上弘美の文章読んでみろ。通読はしましたが、本で買っていたら読み通せなかったです。何が気に食わないって色々ありますが、以下列記。
(1) 視点が固定されていない
主人公美嘉の一人称かと思ったら、美嘉を外から見た三人称になったり、視点がころころ変わるので読みにくい。
(2) 会話文の語尾にバリエーションが無い
「○○だし!」って今時の話し言葉のスタンダードかも知れませんが、六割近い(印象)会話の終わり方がこれって、芸が無いです。もっと端的に言えば、頭が悪く見えます。
(3) 人物の性格描写がいい加減
主人公は二人の男性と付き合い、他にも数人の男性から思いを寄せられますが、魅力が読者に伝わって来ません。一人称の文章なので主人公を褒める描写は多く出来ないのは分かりますが、なら三人称で書くとか、一人称なら所作で性格を描き出すとかして欲しいです。主人公がモテる理由が皆目分かりません。都合良すぎと云う印象を与えかねません。
(4) 情景描写が少ない
私の趣味なのでスルー。登場人物の心情を反映させた情景描写がない文章は、小説と認めません。ただ、一箇所良いところはありました。恋人のヒロと優をそれぞれ川と海に仮託して比較するところ、あそこだけは良いと思いました。
とまあ色々書いてきましたが、小説として読むと駄目です。ドキュメンタリーとして読めば「お気の毒様です。大変な数年でしたが、今後とも頑張って生きていって下さい」と言葉を掛けたくなります。
これで、今後の有象無象の携帯小説を読む事は無いと思います。
●本日の読書
・「2週間で小説を書く!」 清水良典/幻冬舎新書 ISBN:4-344-98007-7
タイトルに釣られて買いました。別に二週間で小説が書けるようになる(又は仕上がる)とは思っていませんが、書く方のスタンスを説いた小説論が好きなので、この人はどんな方法論を持っているのかなと思い、購入。著者の本は読んだ事なかったのですが、「笙野頼子虚空の戦士」を書いている人なので、好感度が高い状態でスタート。
今まで読んで来た「小説の書き方」本の中では、情景描写に大変力を入れている(そして入れるべきであると主張している)と云う点で、実用的だと思いました。私が好きな小説の文章は
・五感に訴える文章であること
・情景描写が登場人物の心情をうつしていること
・人物の性格が推測される効果的な仕草が書かれていること
の三点が代表であるのですが、この本はその二番目にそのままぴったり当て嵌まります。
この本が「2週間」を詠っているのは、各章の合間合間に実践トレーニングがあり、その回数が十四回、即ち一日一トレーニングをこなせば二週間で文章力が付くという仕組みになっているからです。実際は一日でこなせるような難易度の低いトレーニングではないのですが(例1:「断片から書く」気に入った文章の断片を用意し、それの一部または全てを含むか、そこから発想した全く別の物語に発展させた文章を書く。例2:「コップを眺める」コップに水を入れて、それを観察して見た事だけを描写する練習。思い出などは入れない)、きちんとやったら確かに描写力が付くと思います。「物語の体操」(大塚英志/朝日文庫)ほど方法が奇抜ではない分、読者にいい小説を書いてもらおうという志が見える一冊です。
●本日の読書
・「プロフェッショナルアイディア。~欲しいときに、欲しい企画を生み出す方法。~」
小沢正光/インプレスジャパン
会社の上司から借りました。ビジネス書は苦手ですが、比較的楽珍に読み終える事が出来ました。ワンテーマずつ短い章立てになっているのですが、章の冒頭一ページに大フォントで一行、その章の内容がどんと書いてあるので分かりやすいです。主に三回三ラウンド法とその活用方法について書いてあります。
著者は博報堂出身の人で、だからこの方法も広告業界に向いたアイデア発想法だと思います。私は製造・設計業なので、この方法がどこまで使えるか分かりませんが、搾って搾って三回目、最後に出て来るアイデアが本当に使えるものであると云うのは、時によってはいい方法かもしれません。そも設計時には、ある一つの良いアイデアが浮かび、それを練って煮詰めて完成形に持っていく事が多いですから。
方法論として参考になりました。実践出来るか否かはまだ分かりませんが、何か変わった案件が来た時に試せればいいなあと思います(今ちょうどそういう要望あるけれど、ちょっとしり込みしている)。
●本日の読書
・「雪沼とその周辺」堀江敏幸/新潮文庫 ISBN:978-4-10-129472-8
完璧だ。どうやったらこんな完璧な短篇小説が書けるんだ。
堀江さんはこの一冊で川端康成文学賞(短篇部門)と谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞の三つの賞を受賞しているのですがさもありなん、素晴らしい短編集です。特に「スタンス・ドット」(川端賞)と「送り火」、あと「イラクサの庭」も良かったなあ。「送り火」は悲しい話なのですが非常に感銘を受けたので旦那に読ませたところ、2006年の大学入試センター試験の小説で出題された作品だそう。センター試験もいいところに目ぇつけるなあ。
この小説の何が良いかと云うと、文章の密度です。密度と言っても飯嶋和一氏のような歴史的裏づけがある(ように思わせる)重くてねっとりした、登場人物の試行錯誤が詰まっていると云う意味の密度ではなく、淡々と書かれた文なのに語られている人物の来歴から嗜好まで悟らせて、その人となりを読者に印象付ける事に成功していると云う意味での、密度の高さです。ああ、読んで頂かないと分からない。あたしの文章じゃ拙すぎる。
この「雪沼とその周辺」は、架空の町である雪沼とその周辺に暮らす人々の生活の一部を切り取った小説です。この雪沼とその周辺の人々は、古き良き時代に無理せず馴染んでいる人ばかりで、古い機械を大切に使い、隣近所との交流を大切にし、かといって人の過去を掘り起こすような事はしない、謂わば「現実味のある理想郷」に暮らしています。解説で池澤夏樹氏も書いていますが、この機械・装置・道具と云うのが各短篇の重要なモチーフになっており、物語に血といのちを与えています。そしてもう一つの特徴ですが、どの短篇も人によっては尻切れトンボの印象を受けるところで終わっています。そこがいいのです。大体昨今の物語は落ちを求め過ぎるのです。読者の想像に委ねる、ないしはこれまでの流れから当然落ちるだろうところに落ちるのを想像させる、そう、余韻が素晴らしいのです。
購入は文庫でしたが、ハードカバーで買い直し、いつまでも手元に置いておきたい作品です。ああいいものを読んだ。
●本日の読書
・「雪国」川端康成/新潮文庫
岩波文庫で買いたかったのだが、無かった。「伊豆の踊り子」の筋が有名なので、読んでいる途中にその筋書きを思い起こして仕舞い、あ、なんか違うなーと思いながら読んで仕舞っていました。
ボンボンの島村と、奔放な芸妓駒子の物語。サラリーマンやっていると、島村がシーズン毎にのんびりと宿屋に逗留しに来てぶらぶら過ごし、寄ってくる駒子と遊んでばかりいるのがムカつきます。畜生、金持ちめ。
結局島村は、駒子よりも葉子の方が断然好きだったんだろうなあ。簡単に手に入った駒子よりも、寧ろ死者に嫁いだかのような手に入らない葉子が好きなんだろうなあ。あと、駒子が芸妓だったと云うのも、葉子より軽んじる理由だったように思います。……あれ、書いている内に段々と腹が立ってきたぞ。
全体通した雰囲気は「山の音」の方がずっと良いと思いますが、川端康成のはっとするような鋭い美しさを描いた文章はやはり素晴らしいと思います。
●本日の読書
・「お厚いのがお好き?」フジテレビ出版/扶桑社 ISBN:4-594-04202-3
深夜番組らしいですな。見たことはなかったのですが、帯を見て面白そうだったので、お盆の帰省の時に義弟から借りてきました。名前は有名だが殆どの人が読んだ事のない本を俎上に上げ、身近なものに例えてダイジェストで紹介する番組だそうです。読んでいたら大体の番組ビジュアルが想像出来ました。
うん、分かりやすかったです。また、取り上げられている本に興味も沸きました。サルトル、ニーチェ、モンテスキュー、福沢諭吉、アダム・スミス、プルースト……皆聞いたことのある名前ばかり、でも読んだ事はないでしょ。個人的には哲学書よりも小説の方が好きなので、「失われた時を求めて」「城」の二篇が良かったです。
ただこの本はあくまで本を読むきっかけを作るだけの本なので、鵜呑みにしてはいけないと思います。というのは、取り上げられた二十冊の中で唯一読んでいた「三国志演義」の回を読んで思ったのですが、確かにストーリーダイジェストは正しいのですが、要点の余りに一部のみを取り上げている点で、鵜呑みにする事の危うさを感じました。
と少し苦言を呈しはしますが、総じては面白かったです。有名な書籍の紹介に、こう云う切り口もあるのだなあと思いました。でかしたフジテレビ。ちょっと調べたら続編も出ているようですが、紹介されている本のラインナップによっては読んでみたいなあ。
●本日の読書
・「贋世捨人」車谷長吉/文春文庫
小説を書くと云うのはこんなに凄絶なもんなんか。因業な商売なのであろうか。相変わらず密度の高い文章である。あたしみたいにのうのうと生きている人間は、一生こんな濃度の文章を紡ぐ事は出来ないのであろう。
私(わたくし)小説書きとして立つまでの、著者の半生記。著者の小説は七割方読んでいるので、以前別の短編で読んだ話が随所に出てきて、それが時間の流れ順に整理されているので車谷長吉ファンとしては必携の一冊。
彼が友人の医者に言われた言葉、
「小説を書くと云うのは、風呂桶に釣り糸を垂れるような行為だと思う。君、続けたまえ」
と云うのが、やはり強く印象に残る言葉であった。
地球に生きる動物で、小説を書くなんて云う暇な行為が出来るのは人間だけであろうと思われる。知能と余裕があってこそ生まれる小説。極論、なくても生きていける。こういう無駄な(敢えて云う。あたし自身は小説を無駄なものとは思わないが、実際はそうであろうとも考える)ものを書く、書きたい、書かざるを得ないと云うのはやはり少しおかしかったり、必要に迫られた人間でないと出来ないのではないか。
今の日本に、そこまでの覚悟を決めて文章を書いている人がどれだけ居ることか。勿論、全ての人がそうあれとは思わないが、こう云う態度で文章に向かっている人が居ると云うこと、その事があたしの姿勢を正す。
●本日の読書
・「オトナ語の謎」糸井重里 編/新潮文庫
ほぼ日好きなんです。ええ昔から。
サラリーマン業界(業界?)で使われている言葉を、学生の僕らが使う日が来るなんて考えても見なかった。そんな特殊で不思議な言葉を「オトナ語」として紹介し、解説してある本、と紹介すると普通。でも読んでみるとこれが面白くて、ページをめくる手が止まらないんだわ。
・うちのエース……仕事の出来る若手社員
・うちのエースくん……仕事の出来ない若手社員(でも鳴り物入り入社)
・きんきんに……一両日中に。近い内に。
・ウインウインで……双方にとって利益の出る形で。
・かつかつの……ぎりぎりの。
・あっぷあっぷの……もう駄目。
はたから見るとオトナ語は奇妙で知ったかぶりっぽく見えるから、それを使っている人は格好悪く見えがちなんだけど、その奇妙な言葉でしか通じないニュアンスがあるのもまた真実。しかも使っていると自分が仕事の出来る人間になったような勘違いも出来るからなお不思議。侮り難し、オトナ語。……いや、実際は万人が判る言葉で説明出来る人の方が仕事が出来るんだと思うけどさ。
いち製造業従事者であり、サラリーマンの端くれでもある私は非常に影響を受けやすい人間ですので、知り合いの方々は今後ナチュラルにオトナ語を使いこなす私を見て、生温く笑ってやって下さいませ。
●本日の読書
・「愛する源氏物語」俵万智/文春文庫
どうしてこんなに源氏物語の周辺書物が好きなんだろうなああたし。その割には「あさきゆめみし」以外では原作に通ずるものは読んでいないのが自分でも妙。与謝野源氏も谷崎源氏も円地源氏も田辺源氏も瀬戸内源氏もどれも読んでいないです。あ、橋本治の「窯変 源氏物語」は一巻だけ買って読んだけれど、どうも馴染めなかったんだった。閑話休題。
「恋する伊勢物語」に続き、古典の短歌を現代語の短歌に詠み替えて解説してある源氏物語の入門書と云うか副読書と云うか、関連書籍です。面白いです。源氏物語はその物語性や登場人物の人間性について語ってある本は多いけれど、和歌について考察した本は意外に少ないのではないでしょうか(研究書除く)。そもそも古語で書かれた和歌を現代語に慣れた我々が読んでも殆ど分からないところを、俵万智風の翻訳和歌でその時の登場人物の気持ちを読めると云うのは贅沢であり、また源氏理解も深まります。面白いです。
(いつか追記予定)
●本日の読書
・「夢を与える」綿矢りさ/河出書房新社 ISBN : 4-309-01804-1
あたしは面白かったけどなあ。
と云うのはちょこちょこと書評を読むと、芥川賞受賞作「蹴りたい背中」から大分時期が開き、嫌が応にも注目、期待された長編小説だったが故に(故か)、評判が芳しくないのだこの作品。
話は主人公の母親、幹子が恋人の冬馬から捨てられそうになる場面から始まります。彼を引き止める為に計略的に妊娠して生まれたのが夕子、この物語の主人公です。夕子はクオーターで生まれつき可愛らしく、チャイルドモデルとして活動を始めます。ある時大手食品メーカーの CM に出演する事になり、そこから彼女の怒涛の人生が音を立てて回転し始めます。
確かに小説と云うよりはあるアイドルの伝記を読んでいる感じはしますが、彼女の人生が通常の人の二倍くらいの速度で走っているもんだから退屈はしません。そこに訳ありで結婚した両親それぞれの心情や、夕子自身の経験と成長による考えが加わってするすると物語を楽しめます。何より、「インストール」「蹴りたい背中」前二作よりも気の効いた表現が増えているので、素直に「上手になったなあ」と思ったのですが、書評家の人たちはそう思わなかったのでしょうか。
あと必ず言われるのが、文藝賞受賞、芥川賞受賞時のアイドル扱いと過度な報道について。作品がアイドルを描いたものであるので、「当時の作者の経験を生かして~」等と作者と夕子をダブらせて評価しているものも良く読んだのですが、ある程度はそういうこともあるかも知れませんが必ずしも総でもないんじゃあないのかと云うのがあたしの感想です。ネットでの叩きとかそういったのは実体験が元になっている可能性もありますが、全部が全部じゃないだろうし、逆にそこを狙い作者のパブリックイメージを逆手に取っているとしたら大したもんじゃあないですか、それこそ評価しましょうよ。
純文学ではなくエンターテイメント小説だと思いますが、「蹴りたい~」より楽しめました。
●本日の読書
・「毒身温泉」星野智幸/講談社 ISBN:4-06-211291-4
漫然と独身であるのではなく、選んで独身と云う形態で暮らしている人々のお話三篇。最も長い表題作よりも、冒頭の「毒身貴族」がまとまっていて一番好きでした。
表題作を読んでいる途中は気付かなくて、読み終わって気付いた事。
これは純愛の話だったのか。
登場人物はそんなに多くないのですが、全員が苗字 or 名前を片仮名で表記してある為に、性別が分かりにくいです。恐らく作者は意図してそれを狙ってると思うのですが、それが為に最後まで恋愛の話だと思わないで読んでいました。だって登場人物のセリフ内の二人称でも、わざと性別を混乱させて注釈もなしだし。
星野智幸を読んだ事のない人には、自分の中での最高傑作「砂の惑星」(「ファンタジスタ」収録。表題作よりも余程いいと思う)をお勧めするのですが、文藝賞受賞作の「最後の吐息」よりは随分分かりやすかったので、んー、上手く評価出来ないけれど、独身の人で人間関係や恋人との諍いに疲れている人などが読めば身につまされると思います。私の中で中庸な一冊でした。勿論悪くはないのですが、がつんと云う威力に欠ける感じ?
●本日の読書
・「海に落とした名前」多和田葉子/新潮社 ISBN:4-10-436103-8
多和田葉子の小説は「不思議な世界」とか「独特の雰囲気」とよく評されるのだが、そう簡単に良く分かる言葉で評していいのかなあと云う思いもわたしの中にある。「不思議」だからどうである、「独特」だからどうであると、その先に踏み込んで受け止めなければならない何かが、その文章の中にあると感じた。
などと書きつつ、「文字移植」(河出文庫)は途中で挫折しているのだが。
本作品は四つの短篇で構成される。冒頭の「時差」は、段落が変わるごとに三人の語り手が入れ替わり立ち代りする構成だが、割とすんなりと読めた(ゲイの話だが)。二篇目が非常に前衛的な小説で、何を表現したいのかわたしの読解力では読み取れなかった。なにしろ、本文中に主人公の行動選択肢が設けられているのだ。
「土木計画」は飛ばして、表題作の「海に落とした名前」。これが非常に印象深い作品である。不時着した飛行機に乗っていた女性は記憶を失っており、手元に残されたレシートだけが彼女を彼女たらしめている。その彼女の担当医師の甥と姪がそれぞれ病室を訪れてなにくれとなく彼女の世話を焼くのだが、この兄妹がどうも怪しいと云うか胡散臭いと云うか、裏事情がありそうな雰囲気。記憶が戻るかどうかなど、些細な問題である。
●本日の読書
・「私が語り始めた彼は」三浦しをん/新潮社 ISBN:4-10-454103-6
小説上手になったなあ。と言っては非常に失礼になるのですが。
三浦しをんの小説はデビュー作の「格闘するものに○」と、後はエッセイ「極め道」「妄想炸裂」のみ読んだ事があるのですが、文章が、小説がどんどん上手になっていっているなあと思わされます。この本も連作短編集なのですが、第一話から最終話に読み進むに連れて小説の技巧が上がっているように思えます。冒頭一話は比喩が多すぎて、上手なのですがくどい感じなのが、最終話には適度なバランスになっていて読みやすい。と云うような文章評価はさておき。
タイトルの「私が語り始めた」の言葉通り、ある一人の人物に関係する人間がその「彼」について語ったり、それぞれの日常生活を過ごしていく中で自ずと「彼」の影が見えたりといった作りなのですが、面白いなと思ったのが、全ての人が「彼」、大学で古代史を研究する村川融に関係のある話をしている筈なのに、その「彼」の人となりや、語り手の「彼」に対する感情がちっとも見えてこないのです。見えるのは、語り手の性格や考え方。つまりは、私が彼について語っている筈なのに、その中心たる彼が空洞なのです。
そう、全ての登場人物は彼を語ることを通して、自分を語っているに過ぎないのです。
恐らくこれは作者が意図的に仕組んだことだと思うのですが、非常に成功しています。他人を評価しながら結局は自分しか見えていないという辺りが考えさせます。
●本日の読書
・「脳のからくり」茂木健一郎・竹内薫/新潮文庫
「99%は仮説」でその名を知られるようになったサイエンスライターの竹内薫氏が、朋友茂木健一郎氏と組んで著した脳科学入門書。本当に初歩の初歩からの話なので、前エントリー「進化しすぎた脳」(池谷裕二/ブルーバックス)に躓いた人、これからそっちを読もうとしているけれどちょっと予備知識が欲しいなあと云う人向けです。私は「進化しすぎた脳」→「脳のからくり」の順に読みましたが、前者の内容の二割くらいを取り出して丁寧に説明したのが本書だと感じました。ある意味、いいとこ取りです。
共著ではあるのですが、殆どが竹内薫氏の文です。茂木氏はその内の一章だけを手がけています(全編に亘っての校正チェックは行っているようですが)。竹内氏の語り口は平明で、喩えも分かりやすいし切り口も良いです。読んだ順の所為でどうしても「進化しすぎた脳」に比べて印象が薄くなって仕舞ったのが残念ですが、
「脳トレの流行りはなかなか廃れないなー。脳ってなんだろ」
と思っている方に取っては最適の一冊だと思います。
●本日の読書
・「進化しすぎた脳」池谷裕二/講談社ブルーバックス ISBN:978-4-06-257538-6
素晴らしく分かりやすい本だと思います。強くお勧め。
著者を初めて知ったのは、糸井重里との共著「海馬~脳は疲れない~」(これも名著)でした。最先端脳科学の研究者でありながら、脳内で起こっていることや現在分かっていること、また逆に分からないことを素人にも理解しやすいように語ることに長けている人だなあと思ったのがその第一印象。その後も著者の本を折に触れては読んでいたのですが、どれも外れなく分かりやすいので、この「進化しすぎた脳」も、ブルーバックスにしては厚いにも拘らず、初見で購入を決めました。中高生との対談形式なので、初心者向けの講義を受けている訳だから分かりやすい。
内容は脳に関して多岐に亘ります。章題を列記しますと、
第一章 人間は脳の力を使いこなせていない
第二章 人間は脳の解釈から逃れられない
第三章 人間はあいまいな記憶しか持てない
第四章 人間は進化のプロセスを進化させる
第五章 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか
その全ての章に驚きが隠されています。自分が印象に残った知識を披露しようと思ったのですが、ありすぎて決められません。敢えて二つ三つ出すとすれば、
・三次元の世界を二次元(平面)である網膜で写し出すので、脳は二次元を半ば無理に三次元に再構築しており、従って取り落としている情報を想像で補完している。
・人間は言葉があるからこそ抽象的な思考ができる。失語症の人は抽象的な思考が出来ない。
・脳は見ているものをあいまいに捉えている。あいまいであるからこそ、見ているものが何であるか判断できる。
これだけ記述しても何を言っているのか分からないと思います。それは私の表現の下手さや言葉足らずが原因ではあるのですが、この本を読むと上記の意味が分かります。そしてその「意味が分かる」と云う事は、あなたの脳科学についての知識が増えることと、脳に対する見方が変わること、人間の絶妙さに感嘆することとほぼ同義であります。是非の一読をお勧めします。
●本日の読書
・「最後の吐息」星野智幸/河出文庫 ISBN:4-309-40767-6
表見返しの著者紹介を読んで知りました。星野智幸は最も笙野頼子に近いところにいるんだなあ。いや、賞歴の話ですよ。笙野頼子は唯一の三冠受賞者、即ち野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、芥川賞を受賞しているのですが、星野智幸は「目覚めよと人魚は歌う」で三島賞、「ファンタジスタ」で野間文芸新人賞を受賞しているので、あとは芥川賞を獲れば三冠です。こないだ「植物診断室」で授賞していればなー。閑話休題。
星野智幸は「ファンタジスタ」収録の「砂の惑星」を読んで坂道をローリングストーンで好きになった作家さんですが、文藝賞受賞作の表題作を読んで、ちょっと見方を変えました。うう、ちっとも分からない……。
表題作「最後の吐息」は主人公が恋人に書き送った小説、即ち小説内小説がその八割を占めるのですが、それが一応の流れはあるにしろ、幻想的で喩えが難しく、「これは一体何のメタファーだ?」と終始考えながら読むことになるものだから大変です。小説の登場人物であるミツとジュビアは多くを語らずとも心で繋がっており、それがグァバの香りであったり手紙を読んだりするだけで交接している様な幻想をお互いに抱くと云う神業的な繋がり方であるものだから、読者は右往左往。そしてその小説を恋人の不乱子(なんという名前だ)に書き送る真楠の精神を疑えば、それを的確(?)に読み取って彼女なりの意図でもって文句をつける不乱子もまた凄いです。読解力が足らないとは云え、俺置いてけぼり。
同時収録の短篇「紅茶時代」が更に凄くて、もう何と云うか幻想文学の極みと云うか、主人公の紅彦が紅茶に溶け込んだり、恋人のカイコ(なんという名前だ)に成り代わって自分である紅彦に会いに行ったりと、もう訳が分かりません。うう、何のメタファーだ。どんな「恍惚と陶酔の世界」(文庫の帯より抜粋)だ。難しいよー。
と云うことで、自分の中の星野智幸最高傑作は依然として「砂の惑星」です。近作も読んでみたいなあ。
●本日の読書
・「笙野頼子三冠小説集」笙野頼子/河出文庫 ISBN : 4-309-40829-X
何てお得な一冊なんだ! しかし、読む人を選ぶ。
第十三回野間新人賞を受賞した「なにもしてない」、第七回三島由紀夫賞を受賞した「二百回忌」、第百十一回芥川賞を受賞した「タイムスリップ・コンビナート」の三篇を、新しく受賞した順に収録(つまり「タイム~」「二百~」「なにも~」の順な)。初めて笙野作品を読む人に対しては、冒頭の芥川賞「タイムスリップ・コンビナート」が最も敷居が高いと思うので、これを読み切れれば後の二作は比較的読みやすいかと思う。だっていきなりマグロから電話が掛かってくるし。芥川賞の選評で宮本輝氏が「何が悲しくてこのような作品を読まねばならないのか」と書いた気持ちは、分からないではない。
しかし私は笙野頼子の作品群を、ある種の畏敬の念で持って読む。好きかと聞かれれば好きと答えるが、理解しているかと問われれば首を傾げるだろう。難しいのである。作品に込められた意図や主張はぼんやりとは分かるのだが、全てを分かって「ああ何て深遠な作品だ!」と言う理解力は、まだない。多くの作品はフェミニズムであったり文筆業を営む独身女性が社会からどのように見られているかと云った生きにくさだったりを描いているのだが、その喩えとして主人公(多くの場合、作者を想起させる中年女性作家)が出遭う理不尽さや困難、またはスラップスティックコメディーかと思われるくらい滅茶苦茶な状況の「どこ」が「何」の暗喩なのか、分かりにくいのである。読解力不足である、嗚呼(詠嘆)。
個人的には「なにもしてない」に感銘を受けた。本当に「なにもしてない」女性が両手の皮膚病と闘い、夢分析をし、皇族の方々の映るテレビを見ているだけなのだが、読ませる。内容の九割方は女性の自己分析だったり手の状態の描写だったりと、時間も場所も移動しないのにこれだけの内容でこれだけの文章が書けると云うのが凄い。万人受けはしないだろうが、やはり笙野頼子の作品は好きだ(とか言いつつ、作者も難解と云う「水晶内制度」は途中で止まってるが)。
●本日の読書
・「おしえて!ニュースの疑問点」池上彰/ちくまプリマー新書
NHK「週刊こどもニュース」の初代お父さんとして有名になった、元 NHK 記者の著者が解説する、世間のニュースについて。この本を読むまで池上彰氏は NHK のアナウンサーだと思っていましたら、ずっと記者だったそうで、これがこの本を読んで最も驚いた点です。
子供向けのニュース解説書でありますから、概ねは知っている事ばかりですが、中には未知の事もあり、読んで良かったと云うのが最初の感想です。大きくは政治、経済、国際問題、科学、メディアについての主だったニュースを集め、何故このような事が起こったのか、これがどう悪いのか、等について解説が繰り広げられています。特筆すべきはその語り口の柔らかさと分かりやすさ。経済問題などは身近な例を挙げて、何故この事件が法律に反する事であるかと解く文章は「こどもニュース」を彷彿とさせます。こちとら「こどもニュース」で住専問題の構造を知った身ですから、お父さんの解説に弱いんだよな(もう忘れたけれど)。
小学校高学年児童が対象の本かも知れませんが、大人が読んでも面白いと思います。
●本日の読書
・「物語の役割」小川洋子/ちくまプリマー新書
タイトル間違えていました。「物語の方法」ではなく「物語の役割」。小川氏の講演をまとめた、氏の物語に対する考え方の記録です。三章立てで、「物語の役割」「物語が生まれる現場」「物語と私」となっています。最も記憶に残ったのは二章目の「物語が生まれる現場」。これは芸術系の学校での講演を元にしている為に、氏が小説を書く方法や順番などを他章に比べて具体的に書いてあるので、良く分かりました。写真や情景などからインスピレーションを得て、映像が浮かべばそれはもう小説になり得る状態でうある、と云うのが、体験的には分かりませんが、理屈としては良く分かります。
小説と云うものに興味があって、あまたの小説作法本を読み倒してきた自分にとっては、この本、即ち小川氏の平易な言葉しか並んでないのに情景を想像できる文章が非常に合っており、どの本よりも小説が生まれる瞬間が分かるように思えました。思い出した時に拾い読みしたい一冊です。ちくプリだから、装丁もいいしね。
●本日の読書
・「海の仙人」絲山秋子/新潮文庫
第 130 回芥川賞ノミネート作品にして、芸術選奨 文部科学大臣新人賞受賞作。「ファンタジー」と云うふざけた名前で中年男性の姿をした役立たずの神様と、男女三人が織り成す物語。とは言う(書く)ものの、物語中でのファンタジーの役割と云えば会話に相槌を打つ程度で、誰の何をも救わない、ある種新しい神の降臨である。
主な登場人物は三人。宝くじを当てて会社を辞め、福井で隠遁生活を送る河野、彼の元同僚で男らしい性格(氏の作品には頻繁に登場するタイプ)の女性、片桐、そして「部長」とあだ名され仕事に飛び回る年上の女性、かれん。河野とかれんの関係も魅力的ではあったが、わたしの印象に残ったのはまるでロードムービーを見ているような、河野・片桐・ファンタジーの三人で福井から新潟へ向かう自動車旅行のくだりだ。
全編通して物語が大きく動く箇所は一つしかない(とわたしは思う)が、全く退屈しない。登場人物の会話、風と温度を感じる情景描写、どれを取ってみても作者は上手だと思う。ある小説を読んでいると、主人公以外の人間があからさまに「脇役」を演じていると感じる事がままあるが、氏の小説では主な登場人物以外の人間にも個性があり、生活があり、血の通いを感じられるのが魅力である。その中であれば、神であると云う最大の個性を持つファンタジーが印象に残らない程だ。即ちファンタジーは各登場人物たちの緩衝材の役割を果たしているように思う。
個人的な好みでは芥川賞受賞作の「沖で待つ」を越えてはいないが、少し苦味の残る読後感は長く記憶に残る事と思う。
●本日の読書
・「真鶴」川上弘美/文芸春秋
不在文学とでも呼ぶべきか、手帳に「真鶴」と一言残して数年前に失踪した夫、礼。一人娘の百と実母と三人で暮らす主婦の京の物語。
何度も書いていますが、川上弘美の文章は「蛇を踏む」以来大好きで、一番好きなのはパスカル文学賞(現在は無い)を獲ったデビュー作「神様」。文章の何が好きと云うのは、難しい言葉を使っておらず、ありふれていない表現なのにその内容や心情が良く分かるところ。作風の何が好きと云うのは、異形のものが日常生活に自然に入り込みそれが害を為さず、寧ろ登場人物に何らかの指針を与えたり誘導したりするところ。無理に変な言葉を使わずに言うと、へんなものが沢山出てきて、それが皆無害で愛らしいところ、です。
それと、日本語での表現を視覚的に非常に考えて書かれているところも好きです。「真鶴」の表現はリズムがあるようでないようで、一定していません。ある時は句点だけで数行に亘って一文だったり、ある時は「思う。」だけで一文だったりと、所謂文体が掴みにくい文章ですが、不思議と読みにくいとは思わないのが、氏の達者な日本語センスを感じさせます。あと同じ言葉でも漢字にしたり開いたり(平仮名で書いたり)、場面に合わせて様々です。
「真鶴」の京にはへんなものが付いて来るのですが、これは「神様」や「竜宮」のそれとは違って少しだけ意地が悪く、粘着系。失踪した礼のことを知っている風をほのめかしつつ、やはり知らないようでもあります。京と「ついてくるもの」の関わりや対話は結末に触れるので書きませんが、読後は少ししっとりとした風に撫でられたような気分になります。爽やかとは言い切れませんが、明るいです。
●本日の読書
・「飛びすぎる教室 ~シミズ博士の雑談授業~」清水義範 え・西原理恵子 講談社文庫
ISBN:4-06-275588-2
学問シリーズ最終巻。理科、社会、算数、国語と小学校の主要四教科を終えての最終巻は、授業中の脱線話やホームルーム(うちの地方では「帰りの会」と言っていた)での雑談をまとめた一冊。タイトルはケストナーの「飛ぶ教室」から。雑談なもんで話題はキリスト教や歴史や宇宙や墓、奴隷制度など色々。普段馴染みの無いキリスト教と天使についての話は、最近宗教の人の訪問を受けて色々と話をする上の参考になるので、興味を持って読めました。
ただ、雑談授業と云う今回の本の特質から、各章に共通点が少ない為にちょっと散逸した感じを受けました。一章一章は独立して面白いのだけれど、本全体で見ると自分の興味のあるところしか覚えていない感じ。
あ、そうか。元々そういったところ、興味がある人は覚えている、無い人は覚えていないと云うのが先生の雑談のあるべき姿だから、これはこれでいいのか。個人的には最終章の宇宙の話(ビッグバンから宇宙は膨張している話まで)が最も面白く、「おもしろくても理科」から始まったこのシリーズの中では、やはり理科が自分にとって一番知りたい科目だったのだなあとしみじみ思う午後なのである。
●本日の読書
・「停電の夜に」ジュンパ・ラヒリ/新潮文庫 ISBN:4-10-214211-8
良かった。この本を推薦して貸して呉れた友人に大感謝。インド系のアメリカ人作家である著者の短篇小説にはインド出身者が登場したり舞台がインドだったりと、何らかの形でインドと云う国が描かれている。勿論そのエキゾチックな雰囲気が小説の上手さなのではなく、語り口と物語の作り方が上手いのである。短篇小説にありがちな、落ちがついて「上手いでしょう」と云うところがなく、落ちがつかないから「上手い」と思わせるのは並大抵の手腕ではない。しかし著者はそれをいとも簡単にやってのけている(ように思わせる)。
個人的に気に入った短篇は、過去の栄光に縋り付いてそれを吹聴して歩く事でアイデンティティーを保っていた階段掃除婦の話「ブーリー・マー」と、アメリカ人家族を観光案内するインド人通訳が家族の妻から打ち明けられた秘密についての話「病気の通訳」。両方、ラストシーンの風景がまるで見たように思い描け、且つ心に刻まれると云う点で秀逸です。あとどちらの話も切なく報われないのが良い。そう云う弁で言えば、この短編集のどの話も報われないのだが。
O・ヘンリー賞、ピュリツァー賞、ヘミングウェイ賞等、数々の賞を受賞したと云うのも頷ける素晴らしい短篇集。でも賞暦がどうのよりも、作品として素晴らしいので、折に触れて再読したいと思う。新潮文庫じゃなくて、新潮クレスト・ブックスで蔵書したい。あと、著者がこんなに小説が上手くて美人であるというのも素晴らしいな。ちょっと嫉妬。
●大分前の読書
・「子育てハッピーアドバイス」明橋大二/1万年堂出版 ISBN : 4-925253-21-2
ベストセラーになったので内容をお分かりの方も多いとは思うが、「輝ける子」「キレない子」を育てるにはどうすれば良いかが書かれて(描かれて)いる。現在は第三弾まで出版されている。
ベストセラーになったのは、イラストの力に依るものが大きいのではないだろうか。漫画で描かれると、同じ事を文章で書いてあるよりも分かりやすいし、絵柄や色使いが可愛らしい。内容を要約すれば「子供への愛情、全肯定!」「でも構い過ぎるな」と云う事に尽きるかと。「甘えさせる」はオッケーだけど「甘やかす」は駄目、と。その見極めが難しいんだよなあ。
良く売れたのは絵の手柄もあるとは思うが、相方の言う説を採れば、主購買層は現在新生児~小学生くらいの親だと思われるが、これが所謂団塊ジュニア世代、第二次ベビーブームで生まれた最後の多人数世代であろうと思われる(自分含む)。で、この世代は以前「マニュアル世代」と呼ばれ、先の世代よりも核家族で育った人数が多く、マニュアルがないと何事も上手に出来ないと皮肉られた世代に当たるのである(逆にマニュアルがあれば任務の遂行率は高い)。で、つまりはこの本が彼らへどんぴしゃで高い訴求力を持つ「子育てマニュアル」であろうとの意見。少し穿ちすぎの感はあるが、考えられなくはないヒットの要因である。
などと皮肉っぽい分析はともかく、個人的な感想を述べさせてもらうと、はい、非常に参考になりました。丁度子供も生まれた事だし、甘やかさず甘えさせて育てようと思います。ただ、子供が泣き叫んでいるときにすぐ駆けつけて抱っこしないと情緒に欠けたサイレントベビーになっちゃうよ、と云うのは現実問題クリアが難しいと思うなあ。
●本日の読書
・「国家の品格」藤原正彦/新潮新書 ISBN:4-10-610141-6
好きですね、この考え方。そもそも挨拶から始まって敬語も話せない年下が増えている事に業腹だったので、先ずは国語教育の充実を、と云う考え方には大いに賛成です。そもそも小学校で英語の授業なんて必要ないと常々思っています。理由は同書の意見とも共通ですが、如何に英語を話せても、外国人が日本人から聞きたい事は日本固有の文化についてである事が多く、明治から現代に続く文豪の著作に触れていない人は、自国の文化を語るどころか俎上に上げられている作品を一読すらしていないという恥ずかしい状態になる可能性すらあると思われるからです。
英語は道具です。これは前からそう思っています。中学校から英語の勉強を始めても、真面目にやればセンター試験九割、TOEIC で 700 点弱は取れます、旦那や自分の例ですが。
で、話が逸れた、日本は美しい文学と美しい自然環境があり、その恵まれた環境があるのに無駄に欧米化を目指す、経済主体の考え方で進もうとするのは間違っていると云うのが同書の主旨です。講演を加筆、訂正した文章はするすると読めます。語りを新書にすると云うのは前年のベストセラー「バカの壁」と同じ作りですが、添削が入っていて要旨が分かりやすくまとまっています。
以降は自分の考えですが、日本語や日本の文学は、過去の中国からの漢字の輸入、それを踏まえたかな文字の発明(万葉かな等については余り詳しくないですが)、へりくだる美学から生まれた尊敬語や謙譲語、明治時代の文語体から言文一致体への移行と、色々な要素が相混じって構成されています。他国にはない特殊な言語です。日本人はこれをもっと誇っていい、もっと勉強するべきだ、と思います。そう云った考えを持っている自分からすると、良くぞ言ってくれた、そして良くぞ売れてくれた、と思って止みません。
藤原氏の日本語に関する考えを読むなら、この本がダイジェスト版、更に面白いのは安野光雅氏との共著、「世にも美しい日本語入門」(ちくまプリマー新書)です。「国家の品格」を読むなら「世にも~」を読んだ方が絶対に良いです。
●本日の読書
・「月館の殺人(上・下)」原作 綾辻行人 作画 佐々木倫子/小学館
上巻 ISBN : 4-09-188581-0
下巻 ISBN : 4-09-188333-8
テツ道漫画。酒井順子の新刊の帯に「華道、茶道、鉄道?」とあるのが面白い、と話していたら、にしきさんが貸して下さいましたこのテツ道ミステリ漫画。テツがカタカナなのはわざとです。鉄道は線路だの電車だののそのものを指すのですが、これがカタカナを使った「テツ道」になると、それはめくるめくてっちゃんの世界、そう、鉄道オタクの事を指します。
ミステリは余程の事がない限り、謎解きをしないで進むに任せて読むあたしですが、この漫画も例に漏れず「誰が犯人か」を全く考えないで読みました。ああしかし、上巻と下巻の境目の最初のどんでん返しには驚きました。この驚きは森博嗣「冷たい密室と博士たち」を読んだ時以来です(と書くと色々とまずそう。ごめんなさいごめんなさい)。
トリックをトリックとして読むのも面白い本ですが、それよりも漫画中にみっしりと詰め込まれた「テツ分」の濃さが素晴らしいです。テツじゃない人にとっては全く意味を成さない物々、事々が、テツに取っては掛け替えのない貴重なものになると云うそのオタク臭さ、しかもその世界があたかも生きとし生ける者全てにとって重要であるかのような壮大な勘違い、そう云った痛さが、佐々木倫子の絶妙な可笑しみを持った漫画で描かれます。「動物のお医者さん」から好きだったのですが、この人の漫画の何が好きかと云うと、静かな空間に在る異常の面白さ、「間」の面白さです。その持ち味が、殺人事件の起こるこのミステリでも遺憾なく発揮されています。
登場するテツも種類様々で(例:撮りテツ、時刻表テツ、模型テツ等々)、ミステリに興味がなくても一読をお勧めします。あと最後になりましたが、装丁が素晴らしい。IKKI コミックス、お金掛けてるなぁ。ミステリファンの為に、ちゃんと謎解き部は紙替えしてあるのも憎い演出。
●本日の読書
・「山の音」川端康成/岩波文庫 ISBN : 4-00-310814-0
新潮文庫でなく、岩波文庫の改版で買う辺りが自分の厭らしい矜持が見えてアレな感じです。そもそも「やまのおと」か「やまのね」か知らないで読んでいる時点で駄目です。多分「やまのおと」なのだろうなあ。
恥ずかし乍ら、川端康成の著作を読んだ事はありませんでした。この「山の音」は十六の「○の○」で統一された表題の、散文的な短篇で成り立った長篇です。端正な文章で、第一章の「山の音」の冒頭を読んで購入を決めました。抜粋するにしては長過ぎるので各位手に取ってお読み頂ければ幸いですが、時間は動いているのにときは止まっているかのような描写が続きます。
主人公は六十歳を過ぎ老境に入った尾形信吾。彼と、息子修一の嫁である菊子の、心と心の触れ合いが話の中心です。所謂嫌らしい感じではなく、全くの他人でありながらお互いを労わり思いやる気持ちが前編に溢れております。しかし信吾は自らの老いを自覚している為、息子夫婦の間に起こるなにくれに関しては気を揉みつつも手出しを遠慮したり、何らか動いて後で「差し出がましかったか」と反省したりと、非常に奥ゆかしい性分です。現実の老人にしては多少理想的に美化され過ぎているきらいはありますが、章が進むのに合わせて季節も進み、その静かな生活が「美しい日本の私」、川端康成の筆により描き出されます(なんかこの文章、我乍ら調子に乗りすぎ)。
印象深いのは、時折挟まれる信吾の夢が現実の菊子への愛情を歪んだ形で象徴したものであったり、友人の形見分けで手に入れた能面に接吻しようとするくだりや、死の床につく友人からの依頼などの、老人の、ともすれば老醜とも見られる数々のエピソードです。何と言うかこう、普通の事なのに普通でないと云うか、全てがさみしい雰囲気であると云うか、上品でありつつも醜さを内包していると云うか、読んだ人にしか分からない雰囲気があります。
そう、しずかでさみしい。
「伊豆の踊り子」も「雪国」もすっ飛ばして「山の音」を読んで仕舞ったのですが、是非遡って先二作も読んでみたいと思います。しかし川端康成がノーベル文学賞を受賞していると云う事はこの作品も英訳されていると思うのだけれど、この「山の音」初章の冒頭部はどう翻訳されているのか非常に気になります。日本語にしかない言葉のアクセントと丁寧語に絡んだエピソードなのですよ。
●本日の読書
・「今どきの教育を考えるヒント」清水義範/講談社文庫 ISBN:4-06-273577-6
清水義範の教育論は好きです。教育大学を出ていながら教鞭をとった事がない著者は、現場を経験として知らない代わりに客観視出来るのではないかと思いますから。
この本は主たる教育現場として思い起こされる学校のみではなく、家庭や社会そのものも視野に入れたエッセイです。そして被教育者としても子供のみではなく、大人も教育される立場である事が書かれています。
全編通して共感したのは、大人がしっかりしていないと子供がしっかりしないと云う事。当たり前と云えば当たり前の主張なのですが、さて現在の荒れる学校だの切れる子供だのを論ずるには、その子供の特性(突然変異的な)を云々するのではなく、その子供を育てた「社会」を考えるべきではないかと云う論。ここからはあたしの考えですが、子供に何事かがあった場合、又は子供が何事かを起こした場合の親の責任は追求されて然るべきであると思います。しかしそれを考えていく時に、その親を育てた親、つまり祖父母世代からの社会的影響と云うのは考慮しなくて良いのか、と云う清水義範の主張は無視出来ません。
自分も配偶者も、親には恵まれていると思います。十二分にしっかりした親に恵まれた環境で育てて貰い、非常に感謝しています。親しく付き合っている友人たちの親にもいい加減な人はいません。そしてきっと、そのしっかりした親の親もしっかりしている親だったのだと思います。そしてそういった人間を育てるのは地域であったり社会であったりの影響が非常に強いものであるとの考えにも賛同出来ます。多少論が散逸して来た様な気もしますが、つまりは教育について学校が云々言う前に、社会を良くする努力を怠ってはならない訳です。
「人は何故人を殺してはいけないか」、この問いに対する一つの考え方が社会に関係して書かれていて、それだけでも読んで良かったと思いました。
●本日の読書
・「家守綺譚」梨木香歩/新潮文庫 ISBN:4-10-125337-4
これはほんの、百年ほど前のお話。
単行本が発刊された時から読みたくて堪らなかったのを文庫になるまで待つ辺りが我乍ら貧乏性。単行本のストイックな装丁がとても良かったのですが、青竹を思わせる色でタイトルが書かれた文庫の装丁も、単行本に勝るとも劣らない。いい本は装丁もいいなあ。
駆け出しの文筆家である綿貫はひょんな事から、湖で事故に遭い亡くなった学生時代の友人、高堂の実家に「家守」として住む事になる。その古い家で起こる「少し不思議な」事を描いた短編集。「少し不思議な」と表現しましたが、書きようによってはそれは怪異になったりファンタジーになったりする現象を、この物語の中で綿貫は特段原因を追求せず起こるに任せて受け止めるので、厭味にならずにとても気持ちの良い読後感があります。「ああ、そういう事もあるかもね」と云う風な。事故で亡くなった高堂も、偶に床の間の掛け軸からこちらへやって来ます。
それぞれの短編は植物の名前が表題に付いています。中でも庭のサルスベリが可愛いです。いじらしいの。あと、優れた犬のゴロー。
本読みの人から「何かお勧めの本を」と言われた時には自信を持って勧められる本です。逆に癖や匂いが少ないと云えばそうかも知れませんが、明言されていないにも拘らず、綿貫と高堂の人生へのスタンスの違いや、綿貫の性格(引いてはそれが、高堂家を任された所以であるような気もする)などについては含蓄があります。こう云う押し付けがましくなく悟らせる文章は好きです。
季節は一巡り、四季をぐるりと回ってほつりほつりと起こる「少し不思議なこと」を読んで、この秋の夜長に少しいい気持ちになってみませんか。
●本日の読書
・「踊るナマズ」高瀬ちひろ/集英社 ISBN : 4-08-774793-X
表題作は第 29 回すばる文学賞受賞作。「踊るナマズ」と「上海テレイド」の二つの中篇が収録されています。装丁が綺麗なので図書館で読了。変わった作風の人だと思いました。「踊るナマズ」は、ナマズについての言い伝えがありナマズをトレードマークとしている町に育った女性が、出産を目前に控えて胎児に語るナマズの言い伝えの思い出。ナマズのように胎内を動く子供に対して語られるのは、町の言い伝えではなく、主人公が中学生の頃にさる老人から語り聞かされた殆ど猥談と言える物語です。
先ず特筆すべきは対話が殆ど無い事。いや、登場人物はちゃんと対話しているのですが、小説には普通に附いているかぎ括弧での対話文が皆無です。会話は括弧がないまま地の文に含まれており、従って改行が少なく一段落が長いです。しかし読むに当たってストレスは少なく、そう云う点では上手な文章だと思いました。物語の結末は割と冒頭で読めましたが、老人が細切れに語る伝説への興味だけで読者を引っ張れるのもまた面白いやり方と云うか何と云うか。不思議な空気の小説でした。
同時収録「上海テレイド」も殆ど括弧による会話文はなく、万華鏡作家の由利さんによる一人語りで物語は進みます。万華鏡=カレイドスコープに対してテレイドスコープと云うものを知らなかったのですが、万華鏡が筒の中に封じ込められた具材の作る模様を眺めるのに対し、球形のレンズを通して外の風景を三面鏡に写して眺めるものであるよう。父の土産のテレイドスコープを間に置いて展開する、姉と弟のタブーに関する物語です。話の素っ頓狂さからわたしは「踊るナマズ」の方が好きですが、「上海テレイド」の生活感のなさは昔の小川洋子の作品にも通じるところがあり、好きな人は好きだろうなあと思わされます。出たての方なので、今後の作品も読んでみたいと思います。
●本日の読書?
・「イノベーションのジレンマ」クレイトン・クリステンセン/翔泳社 ISBN : 4-7981-0023-4
知り合いの推薦で、普段は読まないビジネス書に手を出してみる。
……すみません、読めませんでした。
古典的名著と言われようと、構成が痛快と言われようと、あたしには通読出来ませんでした。図書館で借りたので貸し出し期限を破ってまで読む努力をしたのですが、どうも文字がするすると心をすり抜けてゆき、この本を頭の片隅に置きながら、この本からの逃避の為に間に三冊の本を読み終えてます。あー、こんなにビジネス書って自分に合わなかったんか。再認識。「ウェブ進化論」はかなり面白く読めたのになぁ。
で、本を図書館に返却し、書く感想もありませんので無駄とは知りつつ、どうして自分がこの本を読めなかったのか考えてみたいと思います。
*内容説明*
業界を支配する巨大企業が、その優れた企業戦略ゆえに滅んでいくジレンマの図式を分析し、既存事業を衰退させる可能性を持つ破壊的イノベーションに対して、経営者はどう対処すべきかを解説する。
<bk1>より
内容は以上なのですが、ある程度の規模の企業に勤める自分がどうしてこれを自分の問題として読めなかったか、これはつまり、自分が現在も将来的にも、会社の経営に携わる立場になろうとは毛頭思っていない、と云う事が挙げられます。大企業で起こっている問題を自社の問題として捉える事が全く出来ないのです。忠誠心がどうのこうのではなく、自分が会社に対して影響力を持てる人間ではない、そして持とうとする気がないから、真摯に読めないのだと思います。
あと強いて言うなら、例に出されているのが殆どアメリカの企業であるが故に、どうも実際の出来事のレポートとして読めませんでした。企業名に馴染みが無い(いや、知っている人は知っているのだろうけれど、ハードディスクメーカーも鉄鋼関連企業も自分の興味対象外なもので)。見出しを斜め読みしただけで力尽きました。いち本読みとして、ここまで読めない本は久し振りでした。泉鏡花の「高野聖」以来です(これは文語体だったので、知力がついていかなかった)。
薦めて下さった方には申し訳ないのですが、以上ジレンマレポートで御座いました。陳謝。
●本日の読書
・「イッツ・オンリー・トーク」絲山秋子/文春文庫 ISBN : 4-16-771401-9
絲山秋子の第96回文学界新人賞受賞作にしてデビュー作。メッタのお二人の評価が高いので文庫になったところで購入。タイトルはキング・クリムゾンの曲の歌詞から採られた「どうせ無駄話さ」と云う意味。物語は絵描き(と云う肩書きの無職)の優子とその周辺の人々とのゆるい繋がりを描いています。展開に劇的な部分はないのですが、文章が良いので爽快に読めます。個人的には「沖で待つ」の方が心に残るシーンが多く、小説として上手だと感じましたのでより好きですが、この日常の点在を描いて飽きさせないのは良い。
蒲田に住む事を決めた主人公はそこで色々な人と再会し、新たに出会い、ひと夏を過ごします。それぞれの人物との交流は殆ど繋がらず「点在」であるが、それぞれの人物との距離感が絶妙です。主人公は、上手く表現出来ないが、投げやりな女性性を多く持っていて、大概の男性について「この人と寝れるかどうか」で判断し、また実行に移したり移さなかったりしています。
一番「良いな」と思った点は、「中心の不在」が綺麗に描かれている点です。中心の不在とは、主人公に取って重要な事が意図的に隠されたまま物語が進む手法(?)の事です。「イッツ・オンリー・トーク」の中ではその「中心」も少し出て来るだけで、主人公のその後の行動に然程大きな影響を与えているとは思えませんが、それも含めて全ては日常のムダ話であるとするスタンスが印象に残ります。
●本日の読書
・「隣のサイコさん ~「いっちゃってる」人びとの内実~」別冊宝島編集部編/宝島社文庫 ISBN : 4-7966-5085-7
こう云う露悪趣味な本は実は好きです。それは結局自分が「狂い」ではないと思い込んでいるから、厭らしく高い視点に立って読んで面白いと感じる訳であって、もし自分が「狂い」である場合にはそもそも手に取ろうと思うだろうか。そう云う点であたしの非常に厭らしい面の見えるセレクトである、と。嗚呼こうして書いていて何か自分が厭になって来たぞ。
宝島社のムックを加筆訂正して新装文庫として出したものだそうで、内容は目次を要約する形で書くと、以下。
PROLOGUE:筒井康隆インタビュー
PART1:妄想
PART2:依存症
PART3:パラノイア(偏執狂)
PART4:宅八郎インタビュー
PART5:人格障害
中で興味を引かれたのは、冒頭の筒井康隆のインタビューと(主に自分が筒井康隆ファンであると云う面も大きい)、刑務所の中の狂いを描いた見沢知廉のドキュメント(そう言えば見沢知廉も自殺しちゃったなあ)。逆にネット上のおかしな書き込みを列挙した部分(PART1)などは、現在の悪意満載某巨大掲示板なんか読み慣れた目では些か大人しく感じる部分も。
●本日の読書
・「ミーナの行進」小川洋子/中央公論新社 ISBN:4-12-003721-5
読売新聞連載時、飛び飛びに読んでおりましたが一冊にまとまったので通して読む。連載時には大きな山も波乱もない話だと云う印象が強く、またそれは通して読んだ後も確かにそうなのだけれど、物語後半からゆっくりと中くらいのうねりが見られる。芦屋の豪邸で暮らす病弱な美少女ミーナと、事情でそこに同居する事になった朋子を中心にした物語。
以前読んだ小川洋子の小説の印象はと言えば、生活感が薄く、登場人物みんな綺麗で、汗をかかない人間しか存在しないような世界、だった。しかし「ミーナの行進」は、確かに芦屋の豪邸を舞台に広げられるある種シンデレラ気分の話ではありつつも、登場人物がきちんとその家での「生活」に欠かせない存在であり、即ち生活が感じられた。と、そう云う御託はどうでも良くて、うん、いいなあ、読んでて気持ちが良かったなあ。
朋子とミーナがそれぞれの人生における短い期間、生活を共にし、毎日の小さな出来事の積み重ねの中でそうとは知らずに成長していく展開は輝く毎日のように見えつつも、巧妙に伏せられた小さな不幸は存在し、そこが非常に現実的。タイトルの「行進」も物語の前半と後半では持つ意味を変え、それは二人の少女の成長を意味している。読後感の良い小説です。
●本日の読書
・「沖で待つ」絲山秋子/文春文庫 ISBN : 4-16-324850-1
氏の小説は非常に上手だと思います。あたしの肌に合うと云うか、言葉がすっと入ってくる気がします。主人公の女性が大概男言葉で会話するからかも知れません。その男言葉と云うのもわざと突っ張ってそう云う口調で話していると云うよりは、現代のぶっきらぼうな女性が話す言葉を持って来ているように思えます(時に過剰な事も無くは無いですが)。
同書は「勤労感謝の日」と、芥川賞受賞作「沖で待つ」の二編が収録されています。あー「勤労感謝の日」はこれに入ってたんか、読みたかった読みたかった。
「勤労感謝の日」は三十代中盤を過ぎても独身でしかも無職の女性が勤労感謝の日に見合いをする話ですが、最初に収録されたこの作品が非常に印象深いものであるために、次の「沖で待つ」を読む前から
「『勤労感謝の日』を越え得ないのではないか?」
と思わせる佳作です。ラストのシーンが非常に良いです。
「沖で待つ」は建築会社に同期入社した主人公及川と、その同期の太っちゃんの友情と云うか信頼を描いた作品です。芥川賞受賞の時の新聞記事や選評である程度内容は知られている可能性もありますが、異性の同期へ寄せる一種独特の信頼感、連帯意識などが不自然なく表現されていて、非常に「いい」小説だと思います。現在自分にはそこまで一蓮托生となる同期がいるかと云えばいないのですが、何か不思議と読んでいて気持ちの良い文体で、何度も「いいなあ」と思ってしまいます。
「勤労感謝の日」の方がこざっぱりとまとまっているとは思いますが、どちらが好きかと問われれば、やはり表題作「沖で待つ」です。「イッツオンリートーク」も文庫に落ちたし、買おうかな。
●本日の読書
・「西日の町」湯本香樹実/文春文庫 ISBN : 4-16-767959-0
著者の作品では「夏の庭」も「ポプラの秋」も大好きだった。
久し振りの新作を文庫で読んだ。今まで、小さな子と老人の関わりを描いてきた著者だが、今回の作品もそれに漏れず、「ぼく」と祖父である「てこじい」の関係を描いている。しかし今作はそれだけではない。ぼくとてこじいの間には、ぼくの母がいる。子供と老人の、少し距離を置いた交流のみでなく、父と娘の少し距離を置いた交流。ここに一つ、新しい位相が生まれる。
あたしの考える湯本作品のキモは「子供と老人の触れ合いと、作為的でない涙」であったのだが、この「西日の町」では先に述べた父娘の触れ合いも絡んで来るが故に、三十近い自分は孫と娘(主人公とその母)のどちらにも感情移入が出来る。
この作品で一番印象に残っているのは、冒頭で母が夜に爪を切るシーン。夜に爪を切ると親の死に目に逢えないと云う迷信があるのだが、それを知っている母は実の父親の前で爪を切る。これからの色々を想像させて、非常に秀逸な出だしだと思います。ああ、こんな誰にでも分かる言葉でこう云う物語を紡げるなんて、すごいなあ。いいなあ。
●本日の読書
・「お縫い子テルミー」 栗田有起/集英社文庫 ISBN : 4-08-746050-9
集英社文庫の夏のキャンペーンに附いているハチクロしおりが欲しかったのです。くじ引きでは違うやつが当たったのですが。
初めて読みます栗田有起。この作品で芥川賞にノミネートされていた記憶があるので購入しました。名刺に「一針入魂 お縫い子テルミー」と印刷して、ミシンを使わず全て手縫いで服を仕立てて生計を立てる照美は、定居を持たず他人の家を転々として暮らしている。ある日、生活の為に水商売をしている店で出会った歌手のシナイちゃんに一目惚れする。
シナイちゃんは男。でも女の衣装で歌を歌う。テルミーはシナイちゃんの家に居候して、宿代として彼に似合うドレスを仕立てる。一針入魂で。
文章は読み易く平易で、他人から見たら大事でも、彼女自身が語るこれまでの人生は淡々としている。居候先の家で夜這いを掛けられたり、彼女を育てた祖母の考えで義務教育を受けていない事などはやはり特殊な生い立ちだと思われがちだが、彼女の口から語られるとそれは大した事ではないように響く。テルミーの口に仮託したこれは栗田有起氏の文体なのだろう。
話の流れは小山が何度かある感じで、世界に引き込まれて「次はどうなるんだろうどうなるんだろう」とどきどきする感じではないが、最終的にテルミーがシナイちゃんに対して選んだスタンスと、彼女自身の自己実現の方法が唐突なものではなく納得出来るので、読後感は良かった。機会があれば別の作品も読んでみたいと思う。
●本日の読書
・「ウェブ進化論 ~本当の大変化はこれから始まる~」梅田望夫/ちくま新書 ISBN : 4-480-06285-8
「下流社会」「人は見た目が九割」以降、新書は各論ばかりで総論がなくつまらないものと決め付け気味であったあたしを久々に面白いと言わせた一冊。恐らく知らない事が多く書かれていた為だとは思うが、まとめとして今後の web システムや web 業界の予測も書かれていたので他の新書とは違うと思って良いかと。
個人的には第一章のグーグルに関する話が興味深かったです。グーグルを初めて知ったのは大学四年か院生一年の頃だったから、恐らく西暦二千年前後。その頃は研究室の同僚誰もが infoseek や goo を使っていたので、あたしですら知るのが早い方だったのが懐かしい。で、グーグルのリンク検索は賢い方法だとは思ったが、それ以上にグーグルを好もしく思ったのは、日本の他のサイトが「検索サイト=ポータルサイト」であったのに対し、グーグルは検索のみに特化していたから。そしてグーグルが単なる検索サイト以上のステージに進もうとしているのを薄々感じたのは、イメージ検索の登場からであった。今回この本を読んで新たに知って驚いたのは「グーグル・アース」。
そして恐らくは進化の最も重要なところであるのが、システムをユーザー側に置くか(パッケージング製品として販売するか)、システムをネットワーク上に置くかと云う処。「ああ言われてみれば」と云う気もするが、これが大転換を起こす発想の転換であると言われれば確かにそうであると感じる。
あと、今までイマイチ分かっていなかった Web 2.0 についても比較的分かりやすく解説してあったので、今 IT 界で何が起こっているかダイジェストに知りたい人にはお勧め。自分はこの世界で生きており、ウェブの「あちら側」の人間にはなれないしなる気もないが、これを学生時代に読んでいたら一念発起していたかもなぁ。技術と云うのはなかなか頭打ちにならないもんだと云う事が分かった事(純粋にテクノロジーとしても、コマーシャライズされたマーケティング方式としても)でも、読んで良かった一冊。
●本日の読書
・「絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男」笙野頼子/河出書房新社 ISBN : 4-309-01758-4
作家、八百木千本。八百本の木を千本と言うくらいには嘘を吐く小説家であるところの彼女は、現在とある処に監禁されており、いつかは分からないが近い内にその存在を消されて仕舞う、と云うところから物語は始まる。
八百木千本と言えば「説教師カニバットと百人の危ない美女」と云う、女性の容貌とその処遇についての作品(凄く乱暴な説明なので、興味の有る方はお手に取って頂けると宜しいかと)に登場した、美しくない事を武器にして小説を書く純文学作家であるのだが、何かにつけて闘い続ける笙野頼子の分身とも言うべき彼女が今回闘っているのは「知と感性の野党労働連合」(略して知感野労。素晴らしい)。この知感野労、タコグルメと云う人物を頂点とする実質与党の野党で、ロリコンを至上主義としており、物事について分からなければその言葉を括弧で括って話をすり替え、さももっともらしいように言いくるめる事でのし上がって来たらしい。括弧にくくって話をすり替えると云うのは例えば『この文章はこの本の「評論」である』と書けば、その内容が所謂ところの評論になっていない事を指摘されても「カッコが付いているから本来の評論とは違うものですよ~」と言い逃れが出来ると云う仕組み。
で、この本は書いてある事を額面通りに受け取ったのでは分からない。八百木千本が闘う所の知感野労は、笙野頼子闘う所の文壇であり、暫く前に「徹底抗戦! 文士の森」で描かれた漫画原作者・大塚某氏とのやり取りがその下地にある。具体的には大塚氏が文学を「文学」と表現し、文学作品を読まないと断った上で「「文学」がやったことは全部漫画がやっている」と言ってのけた事を指している。それまでは大塚氏の本も数冊読んで悪い感情を持っていなかったあたしも、この発言で一気に俺株急落。そして笙野頼子がこの作品でやっているのは、莫迦にされた文学を、己の書く文学作品の中で取り込んで反論すると云う、作家であるから出来る事。至極正しい対抗方法だと思います。ただそれが人口に膾炙する本になるかとか、そう分かって読む読者がどれだけいるかと云う事は一つ、加味しておかなければならないのかも知れないが。
本の内容に触れずに長く書いたが、表題作よりは書き下ろしの「八百木千本様へ笙野頼子より」を読む事で理解が深くなると思われる(逆に言えばこの短篇が内容のフォローになっている)。本編は八百木千本と、正体の見えない知感野労との抗争を千本視点から書いているのだが、結末に少々驚く。確かに落とし方は思いつかないけれど、この終わり方は何を示唆しているのだろうか。いきなり論争が向こうから打ち切られた事? この本をいきなり読むのではなく、先に「説教師カニバットと百人の危ない美女」「徹底抗戦! 文士の森」を読んでいたのは良かった。
●本日の読書
・「こどものためのドラッグ大全」深見填/理論社 よりみちパン!セ ISBN : 4-652-07808-0
新書には総論を求めず、各論のみ求めるしかないと云うのは「人は見た目が9割」を読んだ時に諦観と共に思った事だが、これは割と論の進め方は好みでした。まず一口にドラッグと言っても種類がある事を説明、アッパー系・ダウナー系・幻覚系の分類から、それぞれの代表的なドラッグの成分と摂取した時の効果を説明、章が変わって「自分が依存症になった時」「周りの人が依存症になった時」について、作者が考える事態を好転させる方法を提示する、と云う内容でした。
ドラッグ関係の著作は然程多くは読んでいませんが、自分が一番好きな「アマニタ・パンセリナ」(中島らも/集英社文庫)は超えないにしても、分類が分かりやすいので入門書(何のだ)としては良いと思いました。
内容でちょこちょこと出て来る作者の考えとして、ドラッグは先生にしろ医者にしろ「悪いものだ」と決め付けて、使用者を糞味噌に否定するのは良くない、と云うものがありました。確かにそう云う側面はあります。かといって全ての指導的立場にある人がドラッグのそれぞれを勉強し、自分なりに解釈してアドバイスする事が出来るかと云うと、それは現実的に非常に難しい。しかしその為の努力はするべきでしょうね。自分は勉強不足だから作者のこの考え方に賛同も否定もまだ出来ませんが、理解した上での助言と云うのは何事に於いても大切であろうと思います。
●本日の読書
・「正しい保健体育」みうらじゅん/理論社 よりみちパン!セ ISBN:4652-07805-6
なんつーか人を喰った本だわぁ。理論社のパン!セは中学生以上を対象とした新書ですが、明らかにこれ、大人向け、もっと言うならみうらじゅんファン向けの本だわぁ。本当に知識のない中学生が此れを読んでセックスの事が分かるかってぇと絶対分からない。解説無しで「オナニー」だの「やりちん」だのと云う言葉がばんばん出てきてます。しかもコラム欄の用語解説(例「ラブホテル」「バイブレータ」)も嘘ばっかだし。
さて、以上はこの本を「保健体育の本」として捉えた場合のお話ですが、一みうらじゅん好きとして書かせて頂くと、いやー面白かった! 二ページに一度は必ず声を出して笑って仕舞う。みうらじゅんのエロ写真スクラップ帳やら趣味としてのオナニーやら、みうらじゅんの嗜好全開開陳。「不真面目だ」と切り捨てる事は簡単だけど、笑いの中にも少しずつ考えさせられる部分はあるので、読んで損はないと思います。
●本日の読書
・「High and dry(はつ恋)」よしもとばなな/文芸春秋 ISBN : 4-16-323160-9
よしもとばなな読むのは「アムリタ」以来かしら。久し振りに読んだら自然にするすると読めました。昔は「悪くないけど、どうも心に残らない!」と切り捨てていたのですが、今読むと平易で、全て理解出来る言葉で書かれているのに、共感出来るところが良いなあ、と。
粗筋。中学生の夕子が恋をしたのは、通っている絵画教室の青年先生、久倉君。少し変わった家庭で自由に育った夕子は、実際の中学生らしく恋愛暴走しないし、久倉君は久倉君で年齢ダブルスコアの夕子を対等と見なして会話をする。いや、それはそれで立派なことですが、作者特有の乾いた世界・汚れ無き人々ばかりで、少々現実感覚が薄い。現実に近いファンタジーと云う事で、それはそれで良いのですが。
あと、「悟っている者」は「悟っている者」同士、少しの会話ですぐに分かり合っちゃう辺りなども、ひねくれたこちらとしては素直に読めなかったり。夕子も年齢の割りに達観しすぎの感もあります。夕子のお母さんが唯一現実に近い人かな。ま、久倉君のようながっつかない大人の男性がはつ恋の相手だと、それは素敵なことだと思いますが……。
挿画が話にあまり関係なく、少々五月蠅く感じました。
●本日の読書
・「脳男」首藤瓜於/講談社文庫 ISBN : 4-06-273837-6
ミステリ好きの間では定評のある(そうなの?)江戸川乱歩賞に輝いた本書、「文学賞メッタ切り」で絶賛されていたので読みました。不思議な事に、さっき半分くらいまで読み進めたな、と思っていたらもう後半四分の一を切っている、と云うくらい、進むのが早い本でした。
先ずは「脳男」鈴木一郎のキャラクター造形が特筆すべき点。連続爆破事件の重要参考人(むしろ犯人扱い)で逮捕された鈴木一郎と云う人を食った名前の男は、感情の無い人間であった。彼の精神鑑定を行う医師、鷲谷真梨子の試みと、爆破事件を追う刑事、茶屋の調べによって徐々に明らかになっていく「鈴木一郎」の成り立ち。医学にはあかるくないので本文に使用されている状態・病名がどれほどのものなのかと云うのは分かりませんが、説得力がありました。精神病の解明のような室内もんかと思いきや、その後に彼らを巻き込む事件もあり、よく出来ていて面白かったです。
森博嗣が「全てがFになる」で天才・真賀田四季を生み出したように、首藤瓜於は天才・鈴木一郎を生み出しました。
●本日の読書
・「はじめてわかる国語」清水義範 え・西原理恵子/講談社文庫 ISBN : 4-06-275272-7
良く分かった、と思う。特に面白かったのは以下の三章。
・たまには生々しい話を
・悩ましきかな漢字
・どう書きゃいいのだ日本語
今までは日本人として生まれ日本人として育ったいち読書好き国語好き(だってテストの点数良かったから)のわたくしと致しましては、日本語の表記が「平仮名」「漢字」「片仮名」と云う三つの文字体系がある事に些かの優越感を感じておったのですよ。これらを自在に組み合わせる事で、アルファベットのみの言語に比べてより多くの雰囲気・情感を伝える事が出来るのではないかと。そしてその言語体系を操っている自分たちを誇る気持ちもあったのですね。ですが実際はこの日本語、他国から新しい文字を輸入した際に、既存の言語との折衷を図って苦労して組み込むことで逆に複雑になり、更にまた多くの無理矛盾を抱える事になって仕舞ったそうな。だから収録の対談(高島俊男と清水義範)で「日本語が幼稚な言葉?」と書かれていた事には少なからずショックを覚えました。日本語と漢字が相性の悪いまま今まで整備もされずずっとやってこられた、なんて聞くと、そりゃショックですよあなた。
そしてもう一つ仕入れた新たな知識としましては、常用漢字表と当用漢字表、人名漢字表の成り立ち。小説などではこれらは特に制限を掛けない漢字表なのですが、国語の教科書には常用漢字表に載っている漢字しか使っちゃいけないなんて、知りませんでした。新聞では「常用漢字表以外に新たに新聞で使用が可能になった漢字」なんて記事が載る事があるが、これは実際どう云う事だったのか、というのが分かりました。
自分に取っては「はじめてわかる国語」と言うより「はじめてわかる日本語」だったこの本ですが、普段ぞんざいにしか考えてこなかった日本語と云うものを、もう少し歴史的側面から体系的に捉え直したいと思いました。と云う事でいつか「漢字と日本人」(高島俊男/文春新書)を読んでみたいと思いました。
●本日の読書
・「夏の約束」藤野千夜/講談社 ISBN : 4-06-210080-0
タイトルになっている「夏の約束」の内容については冒頭のマルオとヒカル(ホモ)の会話で早々に説明されるのだが、その「約束」の行く末については、森鴎外の「百物語」的結末になる。これだけで話の終わり方が分かっちゃった人に対しては申し訳ありませんが、本の趣味が合うようなので是非お友だちになって下さい。
以前読んだ「少年と少女のポルカ」「おしゃべり怪談」でも同じ事を感じましたが、藤野千夜の小説には多く、ホモであったりトランスジェンダーであったりと云う人が登場する。実際にそうである知己がいないので推測の域を出ないのだが、恐らく現実世界での彼らは生きにくさを抱えている。しかし、作品に登場する彼らは、生きにくい筈なのにそれを分かりつつ上手く生きている。この乾いた明るさと云うか、不健全にならない感じが非常に救いに思える。
「夏の約束」は身の上も仕事も違う色々な人が登場するが、それぞれに深く浅く事情を抱えていつつも上手に生きている。特段大きな事件は起こらない。日々は平坦で、しかし止まる事なく時間は流れている。正に日常生活を描いた作品である。件の「夏の約束」が中心になりつつもその実態はいつまで経っても見えて来ず、